沖縄は、旧盆のナカビですが皆様いかが
お過ごしですか?
お盆と言う事で5年前に亡くなった私の母の事を
少し書きますね。
私の母は身長146㎝で小柄ですがとても芯が
強く厳しく優しい人でした。
前にも書きましたが母は、私に生きる糧になる言葉を残して
くれました。
「やるべき時にやるべき事をしなさい。」
其のことで今でも忘れられない経験が有ります。
1つは、学生の頃
「勉強をしなさい」
とは言われませんでいたが
「部活は今しか出来ないからしっかりやりなさい。」
と部活の送り迎えなどで応援もしてくれました。
そのお陰で高校生の頃は3年間演劇部で以前の那覇市民会館で
発表の機会を持てるまで頑張りました。
弟3人はバレーボールや軟式テニスの部活に励んでいました。
そんな姉弟4人でしたから成績は?ご想像にお任せします。
2つ目は、私が子供たちの学校の役員を引き受けようか迷っている時に
「学校の役員も子供たちが学校にいる時にしか出来ないから
やりなさい。」
と母が後押しをしてくれました。
実際子供たちが学校を卒業してしまった今は、学校の側を
通る事も有りません。
今、振り返ると役員も引き受けるとママ友も増え
学校の先生がたの苦労も良く分かりました。
話は、少し逸れますが母は、4人目の子供を産んでから
30歳で車の免許を取りに行きました。下の弟は1歳でした。
弟を寝かしつけて叔母や私に預けてから教習所に通っていました。
小学校2年生に赤ちゃんの世話をさせるなんて今では一歩間違えたら
虐待ですね。((笑)
そんな行動力のある前向きな母でした。
私が反抗期のまっさい中は良く喧嘩をして母を困らせていました。
今思うとメチャクチャ手の掛る子でした。(お母さんゴメンナサイ)
お盆になると仕事をしながら長男嫁として忙しい三日間を過ごして
いました。
今では、迎えられる側になって楽しているかな?
今年も元気な孫やひ孫たちの顔を見に来ているかな?
私も最近母の言葉の意味を理解できるようなお年頃になりました。
もう少し早く気がついたら良かったな。
母が生きていたらもっと色々な事を聞いて教えて欲しかった。
お盆のたびに思う私です。
今回のお花は、デュランタ 多分です